ベルシャンの革靴。

「じゅんちゃん。足は大事だから、自分の足に合う靴を履きなさいね。」
そういって、お小遣いを渡された。
おかあさんは昔、足に大怪我をして、膝上の筋肉を摘出している。

私が小学校入学と同時に、吉野町のマンションから根岸の一軒家へ引っ越した。
末っ子の私が手を離れたこともあり、家計のために働きに出ようと思う、と、母は日々求人誌を眺めていた。
私が何の気なしに、新聞のチラシに入っていた生協の配達の求人を母に持っていった。
仕事というものがよくわからなかったけれど、なにか母のためになりたいという気持ちだけあった。
結局、母は、その求人に応募して働くこととなった。

トラックに食品などを積み込んで、それぞれ指定の場所や自宅へ配達しにゆく。
当時、仕事の内容について、母が話していた記憶はあまりない。
疲れたあ、等々、よくある大人の当たり障りのない言葉であったとおもう。
数年勤めた後のある日、母が職場で怪我をした。
私は小学3年生くらいだった。
怪我とだけ聞いていたけれども、入院に手術も必要だという、大怪我だった。

あとから母に、事故のときの話を聞いた。
いつも通り、配達のためにトラックに荷物を詰んでいると、2リットルの牛乳が1ダース入ったプラスチックのケースが、母の左太ももに落ちてきたのだという。
衝撃と痛みにうずくまる母を、同僚は声を掛けるでも、駆け寄るでもなく、立ったまま見下ろしていたそうだ。
女ばかりの職場、よくある新人いびり、周りから嫌がらせにも似た態度を取られ続けていたらしい。
ケースが落ちてきたのは本当の事故だったようだけれど、それまで受けてきた所業や、退院後に仕事を退職する際の周りからの仕打ちを、ぽつりぽつりと母から聞いて、愕然とした。
人間は徒党を組むと、どうして、所定の敵を定め団結し、その人の心を挫こうとするのだろう。
いたずらに気のままに残酷をゆく子供ならばまだしも、大人になっても、なんにも変わらず、学ばないというのか。
疲れたなあと仕事から帰り、ごはんを作ってくれる母が、どんな思いでこの数年を過ごしてきたのか。
どうして、その事実に気付かなかったのか。
世界の摂理がかなしくて、己の盲目さと無力さが、すごくすごく、くやしかった。

私が家を出て男の家に転がり込み、追い出されてシェアハウスやルームシェア等々東京を転々とし、ようやく今の一人暮らしに落ち着いてから、母はタクシーに轢かれる大事故に遭った。
そのすこし前に、大泥酔した父が、電車のホームをプールの飛び込み台と勘違いして線路にダイブし、肋骨を4、5本程折るこれまた大怪我をしたばかりだった。
父が持ち直したと思ったら、今度は母が、と驚いた。
なんらかの因果を感じざるを得ない。
集中治療室へ駆けつけると、ベッドの上に、人のかたちをしているけれども、見るに耐えない姿の母が横たわっていた。
ICUに飛び込んだ瞬間、ものすごいアルコール臭を放ちながら、
「父さんな、プールサイドだとおもったんだよ。」
と、まだ酔いの残った焦点の合わない目で宣ってのけた父の時とは雲泥の差で、本当の本当に深刻なのだとわかった。
母が辛うじて目をひらいて私を見てくれたとき、眼球の白い部分まで赤く染まっていて、足も人間のものとは思えないくらいぱんぱんに腫れ上がり、ああこれは、もうだめなのかもしれない、と、涙が込み上げてきた。
傍で、じゅんどうしよう、と泣きじゃくる姉を横目に、一番泣きたいのはおかあさんだよなと、しっかりしなければと思い、涙をぬぐった。

母は深夜帰宅途中、赤信号を無視して曲がってきたタクシーに轢かれた。
ドライブレコーダーも残っていて、相手が100%悪い状況だった。
これは見ないほうがいいかもしれないと言われたレコーダーには、一度母の脚に乗り上げた後、バックをして再度同じ脚の部位を轢き戻るタクシーからの映像が残っていたという。
入院の手配などは、父のときの経験があった為ある程度落ち着いて対処できた。
加害者の加入している保険会社から連絡があり、本当は私と姉が応対するべきだったのだが、見かねた母の弟のひろしおじちゃんが、諸々の交渉も含め請け負ってくれた。
結局、補償金を渋る先方と裁判になり、年かけて母が勝訴し、ようやく事故がすべて片付いた。
先方のタクシー運転手から直接の謝罪は、今も一度もないままだという。

母はリハビリを経て、杖をつくこともなく、バリバリ働いて過ごしている。
私の母はだれよりも根性の人で、私は昔から頭があがらないし、その血が私にも流れているな、と、ふと気付くことがある。
頑固で、強気で、全部ひとりで抱え込み、それでもなんとかこなせてしまうため、助けられ守られる生き物としての可愛げに欠けるところまでセットで、似ている。

「じゅんちゃん。自分の足に合う靴を履きなさいね。」
そう言って靴代を手渡された私は、ドクターマーチンの革靴を買った。
いつも履いている、黒いサイドゴアの革靴。
私はファッションに疎いので詳しくはないのだが、復刻の限定モデルで、めずらしいものらしい。
店舗で偶然見つけて気に入り、サイズがピッタリだったのと、最後の一足ということで購入。
気付けば数年履き続け、靴先の糸がほつれた部分を靴屋さんで補修してもらって履いていたが、ついに、左靴底のラバーがパックリと裂けてしまった。
「地球の裏側まで、よくあるいたね。」
と、イタリアから帰ってきた私に、母が新しい靴の代金を送ってくれた。
本来ならば娘から母へ贈るべきなのにと申し訳無く思っていたが、母からの好意には、"ごめんなさい"ではなく、"ありがとう"と全力で受け取るのが一番の親孝行だよな、と、ここ数年で考えを改めた。
母の日とお誕生日には、また、私なりの贈り物をしよう。
手紙を送ろう。
身の丈に合った、今の自分に出来得る精一杯が、齟齬がなくていちばんよい。
私には、それしかできないからだとしても。
とはいえ、あまりピンとくる靴が無く、りなちゃんが履いていていいなあと思っていた同じくドクターマーチンのダークチェリー色の革靴は、今はもう生産していないのだと店舗のスタッフさんから聞いて、途方に暮れた。
どうしたものか。
【当時とおんなじビルの地下だけれど、前に店舗のあった場所は調剤薬局になっていた。奥へ進むと、小さな扉にベルシャンの看板があり、以前の10分の1程のちいさなお店となっていた。】

ふと、かなり昔のことだけれど、オーダーメイドの靴をつくったことを思い出した。
革靴という、お高いお買い物。
せっかくならば、世界にひとつだけ、自分の靴を作ってみたい。
そう思ってインターネットで調べると、池袋にあるベルシャンというお店がヒットした。
ピンクレディのステージブーツ、著名人が多数オーダーし愛用しているとHPにあり、外反母趾や特殊な足の形状であっても、その人に合った履きやすい靴を作ってくれるのだという。
私の健康オタクな癖にもマッチし、すぐに店舗へと足を運んだ。

池袋東口からすぐのビルの地下、スニーカータイプやパンプス、ブーツなど、さまざまな靴がずらりと並べてあった。
どれも素敵な靴ばかりで、オーダーメイドの靴をお願いしたいのですと相談すると、すぐに足の型を取ってくれた。
四角くて大きめのマシンに片足を突っ込むと、機械が3Dで足型を計測してくれる。
「データはずっと残しておきますから、次回から計測は必要ありませんよ。」
と仰って下さった。
今回は革の厚底靴が欲しかったのだが、スニーカータイプもよいなあと思っていたので、後日検討しようとわくわくした。
店頭の靴を見て周り、レトロなデザインに惹かれてこれがよいですと店員さんに声をかける。
紐靴だったのだが、いちいち結び直すのがあまり好きではないので、マジックテープで止められるように変えて、色は焦げ茶色とオレンジ、靴底は厚めにしたいです、と、自分のイメージを伝える。
自分の意思を、言葉で他者に伝えるのが苦手だったのだが、そこは一生モノの靴。
勇気を振り絞って、自分の心ざわりを申告した。
【当時の足の計測データ。きちんと紙で残してくれていた。靴の内側に刺繍で名前を入れられるということで、じゅんじゅんと入れて戴いた。とても嬉しかった。】

おずおずと話しをする私にも丁寧に確認して下さり、ではこれで作りましょうと話がまとまった。
通常のモデルであれば3万円とすこしだが、私の希望のカスタムを受け、金額は税込みで63720円との事だった。
正直、ちょっぴり躊躇した。
財布の中身は足りていなかった。
厚底やめようかな、紐靴もアリかな等と妥協案も次々に浮かんだ。
しかし、世界にひとつだけの、私の靴。
ここは漢を見せるべきだろう。
聞いたところ、前金として2万円を預かり、残りは、靴が完成して受け渡しの際でよいのだという。
これは神様が行け!と言っているのですね、と、是非お願い致しますとサインをした。
特殊な加工であることと、オーダーが混み合っている関係で、完成は4ヶ月半後だと告げられる。
毎月1万円貯金をすれば、残金を捻出できるなとホッとした。
出来上がった靴はとてもかわいくて、ずっと履いて、履きすぎて、履き潰してしまった。
修理を頼めばよかったものを、心のどこかで、ここまでボロボロになったら駄目だろうと決めつけて、処分してしまい、それきりだった。
【当時、広々とした店内に並べてあった革靴の数々。今は決まったパンプスタイプ、スニーカータイプのみオーダーを受けていて、特殊加工や細々としたオーダーは受けていないそう。その分、一足の値段も一律で安くなったのだという。】

「よかったらどうぞ。」
と、受付の方が飴のたくさんはいった器を渡してくれた。
ありがとうございますと受け取り、もも味の飴をいただいた。
まずは測定しましょうと、私の足をさわって凹凸の変化などを診、カルテにさささっと書き足す店主さん。
プロの技だ、と、わくわくうれしい気持ちになる。
15分程で靴底が完成するとのことで、飴を舐めながら待つ。
並んでいる靴を手に取り見ていたら、私が以前オーダーメイドした靴とおなじ型の革靴があった。
厚底ではないし、色の組み合わせも違うけれど、あの靴のレシピに間違いなかった。
受付の方に、
「ここに飾ってある靴は販売していないのですか?」
とお聞きすると、
「当時の見本のようなものだから。サイズがぴったり合えば、ですねえ。」
と仰る。
いくつか気になった靴を履いてみたが、先の、私がデザインした靴がまさかのぴったりだった。
この靴が欲しいですと伝えると、当時の販売価格より値引きで、靴底はサービスでつけますとのことで、是非くださいとお願いした。
急遽見本用の靴底を追加で作っていただき、完成したものを履いて歩いてみたが、とてもよい。
スニーカータイプは2ヶ月半程で完成するとのことで、見本用の靴だけ包んでいただいた。
よろしくお願いいたします、とお伝えしてお店を出る。

最近は雨の日以外、この革靴を履いている。
ベルシャンの靴は本当に不思議で、市販の靴では感じたことのないフィット感で、自然と足が前に出る。
靴というものが、人間の歩行をサポートしてくれる履き物であるのだと改めて思い知る。
なんだってそうだ、良質なサポートは対象をより円滑に、高みに向かわせてくれるし、逆もまた、然り。
人間関係も勿論だが、日常的に身に付けるものであれば、尚のこと。
高級である必要はないけれども、良質なものを用いるべきである。
それがないといきていけないものではなくて、いまがよりよくすごせるもの。
それがたいせつ。

職場までの通勤1時間、以前にも増して、心踊る。
音がなくっても、ただただ歩みを進めるときにだって、ビートを刻むことは出来るのだと改めておもう。
音楽というよりも、私は、リズムが好きなのかもしれない。
大袈裟なスキップでなくっても、一歩ずつに色が付いてゆく。
たのしくて、うれしくて、たまらない。

心臓もリズムを刻んでいるから、リズムとはいきるということなのかもしれない。
きょうもいちにち、歩く速さで、一歩ずつ。

じゅんじゅんの日記帳

じゅんじゅんのきまぐれ徒然お日記帳*

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